帰ってきた。

今年の夏は
1ヶ月半程を日本で過ごした。

エルス カサルスにとって
夏は1年のなかで一番忙しいシーズンである。
週末はウェディングで100人、200人
8月は毎日ホテルも満室
エルス カサルス中が人で溢れている。
そんなときに私だけひとりのんびり
しかし仕方なくヴァカンスをとっていたのだ。
その理由は
日本のスペイン大使館へ「労働ヴィザ」の申請をするためだった。

イタリア同様スペインに於いても
外国人の労働ヴィザ取得は容易ではない。
しかしこの度
オリオール、彼の奥さんマルタ、
オリオールの兄達の尽力で
実に5年越しの願いが叶ったのだ。

母国が日本であるなら
日本に「帰る」カタルーニャに「行く」
と表現するべきだが
私の中ではすでに逆転してしまった。

今わたしは迷いなく言おう
再びここカタルーニャに
「帰ってきた」と。
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10月2日。
すっかり秋になっていた。
バルセロナから
バスで1時間半
私が住む小さな町ジロネイヤで降りると
ひんやりした風が顔に当たった。
ああやっぱり空気がいいなあ。

1ヶ月半ぶりに会った
オリオールとマルタの間には
2人目の子供が生まれたばかりで
幸せに満ち溢れていた。
これで2歳の女の子パウラと
また女の子アリアンナの4人家族だ。

夏は大変だったでしょうと私が聞くと
オリオールは
「いやあ僕たちはよく働いたよ。
毎日朝から夜中までノンストップで
あの喋ってばっかりいたチャビまでもが
えらい働き者になったよ」
チャビというのは4月から居る21歳のコックの男の子だ。
「夏を終えたときは本当に疲れていたけど
10日も休んだら今はもう
早く仕事がしたくてウズウズしてるさ」
さすがオリオール。
彼こそが尊敬の念を込めて
「シェフ」と呼べる人だと私は思う。
私も今ようやく
皆と足並みを揃えて働ける!
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# by tomo114t | 2005-10-06 16:15 | エルス カサルス

「カタルーニャ」って...


「あの人はスペインへ行っちゃった」
とか
「スペインの生活はどう?」
なんてよく言われることがある。
しかし私としては
自分が「スペインに住んでいる」
なんて思ったことは一度もない。
此処は「カタルーニャ」なのだ。

スペイン北東部に位置するカタルーニャ州。
東に地中海が広がり
内陸には荘厳なピレネー山脈が聳える。

カタルーニャの国旗。祭日に掲げる家が多い(ハタ日だ!)

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「州」といっても
まさに1つの国家と見なしても大袈裟ではないだろう。
独立した州政府を持ち
独立した言語を持つ。
従って公用語は2ヶ国語
カタルーニャ語とカスティーリャ語(いわゆるスペイン語)
となる。

「カタルーニャ語」とは?

南フランスのプロヴァンス語に
近親関係を持つラテン語で
カタルーニャは勿論
バレアレス諸島(マヨルカ、メノルカ島等)や
バレンシア地方
征服の歴史から
イタリアのサルデーニャ島の一部でも
話されているらしい。
耳に入るときの印象としては
フランス語とスペイン語とイタリア語を
足して3で割ったような言語とでも表現しようか。

バルセロナのカタルーニャ語人口は
大体60%程度だそうだが
私の住んでいる内陸部では
(動物も含めてか?)120%に達すると。
カタルーニャ人は皆
カタルーニャ語だけで生きている。
テレビはカタルーニャ放送
ラジオもカタルーニャラジオ
子供達の大好きな
ドラえもんやしんちゃんさえカタルーニャ語を話す。
そんなことは此処に来るまで知らなかった。

ある日シェフ、オリオールの兄ルイスが
私に言ったこと
今でもはっきりと憶えている。
「近頃のバルセロナでは
カタラン(カタルーニャ語)を話す人が少なくなった。
国際化だやれ何だって
一部のスノッブな連中が
カスティリャーノ(スペイン語)を話すことによって
自分達は上流階級の人間だと思いこんでいるんだ。
だけどちょっと内陸へ入れば皆カタランを話してるよ。
当たり前さ。自分達の言語を話すことによって
民族のアイデンティティが保たれているんだから。
かつてフランコの時代には
カタランを話すことを禁じられたりもしたが
それでも皆自分達の言語を守り通したんだよ。」

彼のこの話の中に全て
カタルーニャ人魂が集約されていると感じた。

その土地の言葉がわからなければ
その土地の人の気持ちはわからない
さらには料理も。

カタランなんてワカランなんて言ってられない
私もいつか習得してみせるぞ!
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# by tomo114t | 2005-10-04 17:53 | カタルーニャ

全ての源はCASA「家」から

エルス カサルス
シェフであるオリオールと妻のマルタ
そしてオリオールの兄妹達によって営まれている。

通常は40席のレストラン
(ウェディングなどの宴会では200名なんてことも)
ホテルの客室は10室。
暖炉や質の良いソファで寛げる居間や
大草原を見渡せるプールもある。

しかし大抵のホテルにはあるのに
ここにはないものがひとつ
それはbar バルのスペース。
なぜならエルス カサルスのコンセプトは「家」であるから。
初めてここに来た日
オリオールは私にこう言った。
「宿泊客が何か飲み物や食べ物が欲しいときには
cocina コシーナ(厨房)へ来てもらう。
普段家に居て、何か欲しいと思ったら
皆決まって台所へ向かうだろう?
ここでもそんな風に
まるで自分の家に居るかのように過ごしてもらいたい
他のホテルには無い考えだよ」

エルス カサルスから車で2、3分走ると
casa Malla カサ マイヤと呼ばれる
オリオールの実家がある。
ここにあるものは
広い畑、豚、牛、鶏etc
全て3人の兄達によって育てられ
エルス カサルスに運んで来る。

オリオールは5人兄妹の末っ子
その兄妹構成は少し変わっている。

まずルイス(長男)、カルマ(長女)という双子
その2歳下にミケル(次男)、ジョルディ(次男)というまた双子
最後に12歳離れてオリオール。

彼らは非常に働き者で
夜明け前からもう家畜の世話を始める。
そうやって手塩にかけた最高の素材を
思い存分料理するオリオール
彼は非常に幸せなシェフである。



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# by tomo114t | 2005-09-29 23:59 | エルス カサルス

エルス カサルス

ELS CASALS
エルス カサルスは
バルセロナから100kmほど北上した
カタルーニャ地方のほぼ中央の
Sagas サガスという小さな山村にある
1500年代の大きな農家を改装した
ホテル・レストラン。

バルセロナならまだしも
カタルーニャ内陸部のこんな小さな村で
日本人の私を初めて見る人々は皆
開口一番に同じ質問をする。
「一体どういう経緯で此処に!?」

イタリアで滞在許可証の更新が出来なくなり
それを理由に解雇もされて
居場所も行き先も失いかけていた時に
スペインへ行こうと決心した。

以前にイタリアで知り合った
カタルーニャ人の若いシェフにお願いした。
しかし彼の店に入ることは出来なかったので
その代りに彼は自分の友達の店を紹介してくれた。

見たことも聞いたこともない
縁もユカリも何もないところへ
家財道具一切を抱えて引っ越してしまったわけだが

「私はここに来る運命だったんだ」と素直に感じた。

思えば短大時代にスペイン語を勉強していたことも
イタリアに居たことも
その他自分が経験してきたことすべてが
実はここカタルーニャに来るための準備だったのかと。

そしてオーナーシェフ
Oriol Rovira
オリオール・ロヴィ−ラとの出会い。
突然現われた、生まれて初めて出会った外国人の私を
両手いっぱい広げて歓迎してくれた。
今や彼は私のカタルーニャに於ける
(同い年の)父であり兄であり師匠であり
そして大切な友達となった。






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# by tomo114t | 2005-09-27 21:55 | エルス カサルス

Em dic TOMOKO...



大の料理好きが高じて、
アパレル業界を抜けてコックの道へ。

その当時よく作っていたのは
オリーブ油、バルサミコ酢、ハーブ、パスタなどを使って
何となくイタリア風な
しかし何の根拠も持たない素人料理に過ぎなかった。

ならば本当のところを
自分の目で確かめて、学んでみたい!
そう決意して日本を飛び出した。

そこで見たものは

「本物のイタリア料理」ではなかった。

その土地で採れた食材を
その土地の人々が
シンプルに料理して食べる
「その土地料理」
本来あるべき食の姿であった。

精一杯働いて
たくさん旅もして
充実した時を過ごした。

しかしある日
その暮らしの先に陰りを見た。
かつて日本を飛び出したように
出発の時が来たと感じた。

そして4年間のイタリア生活にピリオドを打ち
スペイン・カタルーニャへ移り

現在に至る。


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# by tomo114t | 2005-09-27 21:48 | profile